蜷川幸雄氏 香港でのメッセージ



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蜷川幸雄氏(故)が率いる演劇集団「さいたまゴールド・シアター」が2014年11月14〜16日、香港で 『鴉(からす)よ、おれたちは弾丸(たま)をこめる』を上演した。「さいたまゴールド・シアター」は団員のすべてがオーディションで選ばれた高齢者集団、平均年齢は70歳以上で最年長は88歳。元国鉄マンや専業主婦、東芝の工員や介護士など幅広し職歴や人生を重ねた人たちで構成されている。

2014年11月中旬の香港はあの”雨傘革命”とも呼ばれた学生たちを中心としたデモがちょうど発生していた時期で、政府庁舎が立ち並ぶ金鐘(アドミラルティー)、ショッピングの中心エリアの一つ銅羅灣(コーズウエイベイ)、昼夜を問わず繁華街として名高い旺角(モンコク)には若者たちのバリケードが所狭しと設営されていた。

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『鴉(からす)よ、おれたちは弾丸(たま)をこめる』の舞台は1970年代。裁判にかけられた孫たちを助けるために裁判所に押し掛けた数十人の老婆。なんと老婆たちは法廷を占拠する。
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警察は裁判所を取り囲み、法廷占拠をやめるよう何度も呼びかけるが、老婆たちはバリケードを構え必死に抵抗する。法廷内では裁判官・弁護士・被告・老婆たちがそれぞれの立場として自分の思いを述べている。そして老婆たちは次第に過激な行動を起こす。一方裁判所を取り囲んだ警察はそんな老婆に対して更なる動きに出る。
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公演に先駆け11月13日に行われたゲネプロの後、蜷川氏はメディアの取材に応じた。残念な事に蜷川氏はこのリハーサルとメディア取材の当日夜体調不良を訴え緊急入院。
蜷川幸雄氏が入院…先月香港でダウン、長女実花さんに付き添われ(産経ニュース)
香港の舞台にバリケード 蜷川さん演出の高齢者劇団(スポーツニッポン)
蜷川氏は満員の客席の舞台を実際に観ることは出来なかった。飛行機での移動は呼吸器器官への負担が大きいため、この香港訪問を最後に蜷川氏は自身が演出した海外公演の同行を控えることとなった。従って蜷川氏にとって海外舞台訪問は香港が最期の地となった。
海外で蜷川氏が語った最期のメッセージの全てを紹介したい。
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素人役者起用の理由について
-新しいリアルな作りたいなと。職業的俳優では出来ない実際の生活や個人の歴史を積んだ人たちが演技をしたらどうなるのか、それが既成の演劇を打つことになる、批判することになる、そんな演劇を作りたいと考えました。

ナチュラルな演技の方法について
-ナチュラルはつまりリアルの事かと思いますが、それは単にリアルではないですけども、つまり年をとってセリフを忘れる、リアクションが職業的俳優と違うそういうことを全て取り入れながらやっていく事です。ですからセリフを忘れても、実際の人間が年を取っていくと同じようにモノを忘れたり、きっかけを忘れたり、そういう事を全部含めて一つひとつの演劇として成立するような方法をとりました。ですから今日はプロンプターはいませんが、もうちょっと小さなある公演ではプロンプターが5人位客席と舞台の間にいて、セリフがつまった場合は教えます。つまり年を取っていくことを全部かかえながら、演劇でやってみようと。

1970年代のある出来事について
-1971年に私と清水(邦夫氏)はアンダーグランドの小さな劇場でこの作品を作りました。その時学生たちの闘争や政治的な闘争は敗れ敗れた。その時に我々は何を作ることが出来るか、そういう思いで作った作品です。この作品にはまだリアルな存在理由があると思っていました。

劇中での年配者俳優による挑発的な言葉や性的なシーンについて
-(劇中の)女性はすべて基本的に全員老婆ですが、老婆たちにとって子供を産むとか、日本の男の社会に抑圧されてきたということは、全部それまで生きていることの抑圧の材料だった。そのことを含めて、あからさまにすることによって、現在の女性たちの虐げられた位置、日本の長い歴史の中で女性たちはどれほどの苦しみを生きてきたか、その事の一つの中で、性的言語もきちっと使おうと考えました。

1969年『真情あふるる軽薄さ』、そしてその後
-現在の日本に批判的だからです。そしてそれは無目的に行列を作っている集団の話です。何のために行列を作っているのかわからない人たちが、自分たちで急進的な若者を批判する。そして自滅して全員殺される話なんです。ただしその作品を作った後、僕らの集団は崩壊したのです。それは社会的にあらゆるラジカルな運動が破れ敗れていった時に、僕らも敗れ去ったわけです。

香港での学生を中心とした占拠活動とこの作品との繋がりについて
-重なることはたくさんあると思います。そして体制に不満を持つ人たちが必死に闘うことを、よその国にいながら応援が出来たらいいな、そのように思います。それは自分たちが政治に敗れた世代だからです。ある種の願望ですが、幸せな結末を迎えたらいいなぁと涙する思いです。僕はこんな恰好をして香港に来たのは、どうしてもこの作品を観て頂きたいなぁ、香港の人たちに僕たちは何を感じたのか、何を作ったのかを知ってもらい、そういうことで繋がりが出来たらいいなぁという思いがありました。まぁこんな姿で人前に出たくはないのですけども、香港にやってきました。
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スローモーションのような演技のシーンについて
-日本の伝統演劇を批判しながらぼくらは現代演劇を作ったのですが、歌舞伎のテクニックで「だんまり」といってスローモーションで動くテクニックがあるのです。それを現代演劇に取り入れたのです。

劇中の老婆たちはここの感情をもつのか?それとも集団の一人の存在か?
-個々の思いは様々に違うと思いますけども、闘うという意味ではあの人たちは同じ思いを持っている。まぁ言ってみれば若い人たちに対する激しい願望を全員が抱いている、と考えています。

香港のデモのバリケード現場を見られての感想
-同じだな、と思いました。日本の70年代はそれほど雑多なバリケードは無かったですけども、芝居の中のバリケードと現在の香港のバリケードが同じなのかな、と。しかしそれは香港のデモとこの劇と重なる、という意味ではなくて、もうちょっと精神的なラジカルな部分に対する共感です。

劇中で生き残った弁護士について。人々を守る立場である弁護士として敢えて生き残らせたのか?
-そうではなくて何にも加担できない一番ダメな大人として生き恥をさらせ、ということです。ただこんな事を自由に喋っていいのですかね?(参加者一同笑)

劇中のカラス(鴉)は日本の”恥の文化”を象徴しているのか?
-いえ、この鴉は虐げられた人たちの魂の化身が鴉。日本の長い間の女性たちの悲しみや怒りの象徴が鴉なのです。

老婆たちの怒りは何か?
-政治的体制に対する怒り、それから行動することを忘れ始めた若者に対する怒り、その2つが舞台での怒りです。青年たちは被告として捕まっているけども、語られている言葉は他人が語った政治用語だけを繰り返していて、中身がくっついていないのです。そういう事に対して老婆たちはすごい不満を持っている。ただしこれは香港の若者たちは関係ないですからね、日本の若者です。

hiro
クラオタ歴30数年。 香港在住。 クラシック音楽や映画などについて、日本語紙に時々寄稿しています。