レスリー・チャン追悼

Leslie Cheung(張國榮)
12/Sep. 1956-1/Apr. 2003

『レスリーがマンダリン・オリエンタル・ホテルで飛び降り自殺した!』ってあの日の晩、外で飯を食っていたら家内から電話があった。帰宅途上にマンダリンに行ったら、ものすごい数の花と突然の死が受け入れられない多くの市民でごったがえしてた。

あの日から14年。毎年4/1はマンダリンに多くの花が手向けられる。そして今夜もそうだった。

レスリーが亡くなってからほどなくしてマンダリン・オリエンタル最上階にあるバーに行った。当時ぼくがよく一人で、そして友人と共にこの店によく行っていた。顔見知りのそこのスタッフにレスリー・チャンの事を訊いてみたら、彼女は何度もレスリーのためにサーブしていたらしい。彼女は当時こんな事をぼくに語ってくれた。
『レスリーは本当に孤独でした。誰も手にすることが出来ないようなお金も名声を得ましたが、彼には張國榮としての居場所がなかったのです。バーの飲み物や、バーの隣にあるマンワー(最高級の広東料理レストラン)の食事を、彼が予約したマンダリンの部屋に私は何度も持っていきました。部屋にいるのは大抵彼一人でした。バーに、そしてマンワーに来たもらいたかったのですが、レスリー・チャンだ!と周りのお客さんが彼をほっておかなかったのです。残念ながらそれはマンダリン・オリエンタルの方針ではありません。ゲストであるレスリー・チャンはマンドリンとしてはミスター・チャン(張先生)なのです。たとえマーガレット・サッチャー首相がゲストであっても、マンダリン・オリエンタルにとしてはミセス・マーガレット、としてサーブします。レスリーはどうやらマンダリンの方針が気に入っていただいたようで、本当に何度もマンダリンをご利用されていました。報道ではレスリーは恋の事で悩んでいたようですがそれは私にはわかりません。彼があまり繊細すぎる、そんなことで死を選ぶなんて、という人もいるでしょう。張國榮ではなくレスリー・チャンという名前をあまりに自分で背負いすぎすぎだ、と思う人もいるでしょう。しかし”私たちはレスリー・チャンじゃないのです”。』

改装前のマンダリン・オリエンタルの上階にはかつてベランダがありました。ここから見るヴィクトリア湾、そして花火は絶景でした。そんなベランダからレスリーは最期に何を見、そこから身を投げたのでしょうか・・・。

自殺の直前、様々な人に宛てたといわれるレスリーの遺書。

hiro
クラオタ歴30数年。 香港在住。 クラシック音楽や映画などについて、日本語紙に時々寄稿しています。