ヨーゼフ・ラスカと宝塚交響楽団‐付録CD「ヨーゼフ・ラスカの音楽」/根岸 一美

ヨーゼフ・ラスカと宝塚交響楽団‐付録CD「ヨーゼフ・ラスカの音楽」 (阪大リーブル038)

ん?宝塚交響楽団?もしかしてアマチュアオーケストラですか?って思う人が殆んどかもしれません。一方ブルックナー・マニアの方なら、「あぁ~、あの宝塚交響楽団ね、フフフッ・・・」ってなっているかも。ヒントになりますが、ブルックナー各交響曲とテ・デウムの日本初演について簡単に紹介します。
(参考資料;日本ブルックナー愛好会)
<交響曲第0番>朝比奈隆 大阪フィルハーモニー交響楽団
1978年06月05日 大阪フェスティバルホール
<交響曲第1番>J.ラスカ 宝塚交響楽団
1933年11月22日 宝塚大劇場
<交響曲第2番>P.シュヴァルツ 札幌交響楽団
1974年 札幌市民会館
<交響曲第3番>H.カウフマン 京都市交響楽団
1962年05月23日 京都会館
<交響曲第4番>J.ラスカ 宝塚交響楽団
1931年04月24日 宝塚大劇場
<交響曲第5番>E.ヨッフム アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
1962年04月18日 大阪フェスティバルホール
<交響曲第6番>N.エッシュバッハー NHK交響楽団
1955年03月15日 日比谷公会堂
<交響曲第7番>プリングスハイム 東京音楽学校管弦楽団
1933年10月21日 奏楽堂
<交響曲第8番>H.v.カラヤン ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
1957年10月28日 日比谷公会堂
<交響曲第9番>K.プリングスハイム 東京音楽学校管弦楽団
1936年02月15日 奏楽堂
<テ・デウム>J.ラスカ 宝塚交響楽団
1935年01月26日 大阪朝日会館

交響曲1番と4番とテ・デウムの日本初演は宝塚交響楽団。そう、あの有名な宝塚歌劇団の座付きオーケストラがこの宝塚交響楽団です。戦前の西日本で活躍していたクラシック音楽のプロオーケストラは専らこの宝塚交響楽団でした(大阪フィルの前身の関西交響楽団が設立されたのは1947年)。

宝塚交響楽団を率いたのは1886年オーストリアのリンツで生まれた指揮者・作曲家ヨーゼフ・ラスカ。1923年に初来日したラスカは1926年の宝塚交響楽団の第一回定期演奏会に至るまでにどのような事が起こったのか。ラスカは宝塚交響楽団をどのような指導・指揮をしたのか。1935年にモスクワの音楽大会に日本代表として出席したラスカは日本政府から再入国禁止を告げられてしまいます。日本への再入国を拒否されたラスカはたった一つのトランクと彼の作品の楽譜だけを持ってウィーンに戻りました。ユダヤ人ではないラスカは1942年9月にナチのゲシュタボに数回連行、そして同年12月に収容所送りになりました。幸運な事にアメリカ軍によって収容所は解放されて再びウィーンに帰還しましたが、ラスカは二度と日本へは戻って来ませんでした(1964年78歳でラスカはウィーンで死去)。時代と戦争に翻弄され、一時は生命の危険すら危ぶまれたラスカの人生について、そして戦前の日本のオーケストラは一体どんな様子だったのかを知る上で貴重な一冊です。

巻末にはラスカが日本滞在中に残した著述、”日本の音楽”、”日本におけるヨーロッパ音楽と日本音楽に対するその関係”の2点が載っています。こちらもとても興味深いです。

宝塚交響楽団は戦前どのような作品を演奏したのかは、宝塚交響楽団定期演奏会記録. 1926 年(大正 15 年)9月 18 日~1942 年(昭和 17 年)3月 14 日をご覧いただければと思います。

hiro
クラオタ歴30数年。 香港在住。 クラシック音楽や映画などについて、日本語紙に時々寄稿しています。